2021.2.7

怒らないよ。だってこっちが損した気分になるじゃん。怒るって期待することだよ。わたしのことを無価値だと思ってる人に期待したらさ、わたしはこの人に価値を見出そうとしてるんだって絶望してしまう。感情を抑えて他人と付き合う意味ってあるのかなないよね。わたしの感情は何より尊いのに。痛みを感じられなくなったら、わたしがわたしじゃなくなる。これは自我を保つための闘いだ。

2021.1.29

意思のない人が嫌いだし、意思を伝えられない人が嫌いだった。物事に対しての立場は、はい/いいえ/どちらでもないのどれかでしょって。でもそういう正しさで人をぶってしまうから、自分もみんなも息苦しくしてしまうんだよなあ。わたしは答えをあやふやにしている状態が嫌いだからはっきり意思を伝えることが多いけど、みんなそんなバカ正直じゃないな。人は言えないことたくさん抱えて生きてんだから、無理強いしたらあかんわ。

2021.1.28

頑張ったら仕事楽しくなるかもよって言われて、単純なので頑張るようにしてる。最近毎日、今日できたこととできなかったこと、じゃあ次どうするかを日記に書いてて。走り書きでメモ程度のものやけど。それ見返してたら、頑張ってた「つもり」やっただけで、全然なんの結果にも結びついてなかった。やから今はあんま楽しくない。頑張ってる自分のことは好きでいられるけど、ゴール決めて走らないと体力の無駄遣いになっちゃうな。人生の大半を使って何にも残せなかったなんて悲しいもんね。頑張り方は考えなきゃな。

2021.1.24

たとえばストーリーを載せて、いつ誰とどこで何してたかを知られたって、他人は君の思う「本当の自分」には到底辿り着けないよ。どれだけ自分を曝け出しても、「知られ過ぎる」なんてことはないんだから大丈夫。だからもっと他人に自分のことを知ってもらったらいいよ。

 

でも、そういう怖がりな君のことはぜんぜん嫌いじゃない。お腹を隠してたら、背中が隠れてなくて、じゃあ毛布で包めば全身隠れれる、みたいな。そんな気持ちなのかも。もし相手を信用して自分を知ってもらって、それなのに裏切られたら苦しいもんね。だから少しでも信じれると思ったら、0か100かじゃなくて、少しずつ自分を開けばいいよ☺️

2021.1.23

わたしがしてきたことも、そのとき感じたこともいつか忘れてしまうんやと思ったら寂しい。こうやって記録を残しても、書き切れないほどいろんなことがあって、言い表せないほどさまざまなことを感じてる。だから、絶対に自分の感情に名前を付けなきゃいけないってことはないけど、あれはたしかに愛だった。もっと歳を重ねて、ボケて何もかも忘れてしまっても、あの一瞬の出来事はきっと忘れずにいたい。そしたら自分が報われるから。まあそうやって自分に呪いをかけてるだけかもしらんけど。

2021.1.21

最近は「そんなもんでええんやなあ」と思えることが多い。今言った言葉に意味はなくてもええ。好きな人に絶対好きって言わなあかんわけちゃう。自分を大切にしてくれない人が好きでも大丈夫。人の恋愛話を聞くことが増えたけど、みんな愛のカタチはバラバラで、「ふつうは」とか「常識的には」とかどうでもよくなって吹っ飛んでしまった。

 

仕事だってそう。やなこと言われたら先輩に愚痴ってもええ。ミスしたり、実力不足で悩んだりする日もあるけど、毎日ちゃんと頑張れてたらそれでよし。自分のためじゃなくて、人のために仕事してあかんことなんて全然ない。わたしは許されている。みんな許し合っているから。自分を縛るルールを勝手に決めて、苦しむ必要なんかないんやなあ。

2021.1.21

悲劇のヒロインになって浸りたいのに、わたしのストーリーにはモノローグなんてない。ナレーションに1行で全部まとめて解説されるから、主人公にはなれないんだと分かってしまう。それはアタマとココロが分裂してて、悲しいときは意外とアタマの方がよく働くから。アタマは客観性で、ココロは主観性という意味だよ。なんかでも、へっぴり腰のヘタレキャラなラノベの準主人公くらいなら、わたしでもなれそうね。なりたくないけど。